2008年07月10日
 ■  世界遺産平泉ならず

平泉の世界遺産「落選」、日本の候補地では初
http://www.yomiuri.co.jp/tabi/news/20080707tb08.htm

世界遺産委員会は今月2日から開かれ、「平泉」を含めた文化遺産と自然遺産の候補地計43件を審議している。文化庁に入った連絡によると、奥州藤原氏が12世紀、平泉を中心に「浄土思想」に基づいて進めた町づくりについて、「平和の希求」といった点で文化的価値を認める意見もあったが、委員会としての合意は得られなかった。
文化庁は「世界遺産の審査が厳格になっていることに加え、平泉に顕著で普遍的な価値があるということを証明しきれなかった」とみている。

なんというかさ
岩手人の俺が言うのもなんだけどww
平泉の世界遺産登録ってちょっとあまりにも強引過ぎたよね

私利私欲による世界遺産登録運動みたいな感じで
見るに耐えられなかったし
観光産業の発展というか世界遺産ビジネスだよねあれ

まず思うんだけどさw前も書いたと思うけど
「京を真似ようとしたんではない。京を越えようとしたんだ。」のCMは
何を言いたいのかさっぱり分からん
どの点で京を越えようとしたんだ?

次に思うのは
平和希求の話

奥州藤原氏ってそんなに平和の希求なんかしていたの??
「中尊寺供養願文」に

「古来、奥州では、官軍の兵、蝦夷の兵の区別なく、多くの者の命が失われてきた。毛を持つ獣、羽ばたく鳥、鱗を持つ魚もまた、数限りなく殺されてきた。命あるものたちの御霊は、今、あの世に消え去り、骨も朽ち、奥州の土塊となり果てたが、中尊寺のこの鐘を打ち鳴らすたびに、罪のなく命を奪われた者たちの御霊を慰め、極楽浄土に導きたいと願う。」

参:http://www.pref.iwate.jp/~hp0907/sekaiisan/index.html

って感じの事が書いてあったから
平和の希求だ!ユネスコ憲章と同じ!って言うけど
この点はかなり疑問

奥州十七万騎とも言われる強大な軍事力があった訳だし
(実際は17万もの軍隊が居たはずが無いけど。。。)
事実、阿津賀志山の戦い(厚樫山の戦い)やその前哨戦である石那坂の戦いでは数万という兵でもって戦ってるよね?
軍神義経も居た訳だし

それに浄土思想=平和希求って言うのも
なんかいまいちピンと来ない
浄土思想って戦争しないお!って思想だっけ?

通ずる所が無いとは言わないけどちょっと論拠としては薄弱だと思う

それに
金色堂だけとか寺院だけ世界遺産ならまだ良いとして
推薦資産の範囲が広すぎると思うんだよね

はっきり言って今回のユネスコの採決は妥当だと思う

投稿者 1 : 2008年07月10日 13:39

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